中山博嘉 Blooming代表 スペシャルインタビュー EPISODE 2
INTERVIEWスペシャルインタビュー
EPISODE2夢のパリコレヘアメイク
アップアーティストへ
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中山様
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友達がたまたまエージェントと知り合いだったんですね。僕はその頃はヘアメイクアップアーティストとしてタレントさんのスタイリストをやっていました。31歳頃ですね。
シザーズリーグ※4に出ていた美容師と原宿で知り合って、何回かテレビに出る機会があった。
たまたまそれを観ていた方からお誘いがあって、いきなり中山エミリさんの雑誌撮影のヘアメイクを担当することになった。そのあたりからメディア関係の仕事も増えていきました。そんな流れの中でパリコレの話が出てきました。
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峰村
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パリコレ、ミラノコレにどんなイメージを持っていましたか?
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中山様
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あの場所に行ったら面白いだろうな、と思っていました。実際に話をもらう前から周囲に宣言してたんです。「パリコレに行く」とか「タレントさんやセレブのメイクアップを担当する」とね。
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峰村
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自分に対する自信があったということですか?
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中山様
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自信なんか何もない。根拠もないしツテもないんだから(笑)
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峰村
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(笑)何の根拠もない宣言に対して家族や友人はどんなリアクションだったんですか?
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中山様
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笑ってましたね。冗談だと思っていたんじゃないかな。でも僕は真剣でした。
誰かに言っておけば、誰か引っかかるだろうと。知り合いの知り合いの、そのまた知り合いの人にツテがあるかもしれない。どこでどんな出会いがあるか分からないから、常に周囲に目標を語っていました。
※4 シザーズリーグは、1999年4月からフジテレビ系列で火曜日の深夜に放送されていたテレビ番組。いわゆる「カリスマ美容師」ブームの火付け役となった。
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峰村
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夢物語が現実のものとして話がやってきた。
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中山様
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プロフィールを書いて、簡単な面談を受けて、想像以上に簡単に決まっちゃった(笑)
最初はアシスタントとして参加するということで許可を得たんです。
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峰村
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話が決まった時はどんな気持ちでしたか?
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中山様
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嬉しかったです。ようやく表舞台に立てるのかなと。日本人としてどれだけできるか。
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峰村
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中山さんの前の世代を含め、パリコレを担当されたスタイリストさんっていらっしゃったんですか?
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中山様
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いないですね。日本人が参加するのは難しかったと思います。フランスの労働局があって、フランス人のスタイリストを優先的に入れる。僕たち外国人が入っちゃうとフランス人の仕事を奪うことになっちゃう。だからあくまでもアシスタントとして入るという建前で参加したんですね。
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峰村
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どんな仕事を担当されたんでしょうか?
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中山様
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最初に入ったのはBラインと言ってトップブランドの少し下の位置付け。
そこで2年くらいやったのかな。春夏と秋冬のコレクションでフランスに行ってました。そこから仕事の基盤ができてきたので、トップブランドに移り、マックスマーラやボッテガ・ヴェネタ、ディオールなんかを担当するようになった。
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峰村
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Bラインからトップブランド!凄いですね。日本人として言葉の壁はなかったのですか?
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中山様
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言葉の壁はありましたね。僕は流暢な日本語を話しますから(笑)
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峰村
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(爆笑)
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中山様
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通訳さんが入ってくれるが、現場は片言の英語が標準語みたいになっているのでなんとかなりましたね。モデルさんと片言の英語で話したり。
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峰村
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スタイリストはほとんどフランス人なんですか?
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中山様
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アジア系はほとんどいなくて、中国の方が少し。アメリカ人は結構いたかな。
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峰村
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まさに美のオリンピックですね。中山さんは日本代表で。パリコレで印象に残っているエピソードがあればお願いします
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中山様
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スタイリストの派閥がありましたね。アジア系はアジア系で固まり、アメリカ系はアメリカ系で固まる。モデルさんもトップモデルを筆頭にB、C、Dとランク分けされていました。
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峰村
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パリコレのモデルさんもそんなにランクが分かれているんですね。厳しい世界ですね。
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中山様
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最初はDくらいから担当するんですが、慣れてくるとCを担当して、その様子を見ていたBのモデルさんが「あなたにメイクして欲しい」と言ってきたりね。
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峰村
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モデルさんがスタイリストを指名するんですか?
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中山様
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そうです。僕はメイクをする時は資生堂を使うことが多かったのですが、モデルさんは1日に数ステージに立つこともあってその都度メイクも変えます。刺激の強い化粧品は嫌がる傾向がありました。資生堂は知名度も高く評判も良かった。
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峰村
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なるほど。今はメイクの話ですが、ヘアも担当されていたわけですよね?
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中山様
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そうです。どちらもやりました。日本人は手先が器用ですから、髪の毛を蝶々結びにしてあげたら「どうしてそんなことができるのか?」と驚かれましたね。
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峰村
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日本人ならではの手先の器用さというか。
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中山様
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細かい芸は得意でしたね。
デザインに関しては欧米人のほうが大雑把だけど綺麗なシルエットを作るなぁと思いました。
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峰村
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パリコレで学んだことは?
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中山様
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細かいことを積み上げていくデザインだけじゃなく、ざっくりとしたデザインから粗削りで削っていくやり方を学びました。
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峰村
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粘土で例えると、土台を組んで内側から作るのが日本式とすると、粗い形を作ってそこからそぎ落としていくのが欧米式というイメージですか?
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中山様
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まさにその通りです。車で例えると、フェラーリとかポルシェって見た目がカッコいい。でも細部を見るとエンジンがどうしようもないとかあるわけです(笑)反面、日本はエンジンから作ったりする。見た目重視と細部重視の違いがあると思いますね。
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峰村
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なるほど。非常に分かりやすいです。
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中山様
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両方をうまく取り入れることが大切なんだと感じましたね。
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峰村
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まさにハイブリッドですね(笑)コレクションのためにフランスに渡るという生活が始まったわけですね。
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中山様
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トップブランドを担当するようになってから4年くらい続きましたので、トータルで6年くらいですかね。
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峰村
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パリコレに携わった6年でスタイリストとして新たなスキルやテクニックを身に付けることができましたか?
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中山様
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そうですね。外国人スタイリストからも刺激を受けましたし、自分になかったスタイルを吸収することができましたね。テクニックで言うと肌のくすみを消すとか。
モデルさんは夜遅くまでパーティーしたり、遊んでますからね(笑)朝になると目の下にクマができてたり、肌が荒れてたりとか日常茶飯事で。
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峰村
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そんな状態で仕事に来るなよ、みたいな(笑)
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中山様
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そうそう(笑)
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峰村
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そんなことがなかったかのように美しく作るわけですからね。
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中山様
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恋人と喧嘩して泣きはらして目が腫れちゃったとかね。
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峰村
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なるほど。スタイリストでないと分からないような貴重な裏話ですね。リアルタイムのファッションショーですから、時間が押したとか、ハプニングもあったんじゃないですか?
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中山様
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とにかく時間が長い。5時間くらいあるんで、最初からいる人は5時間いるんだけど、最後の1時間くらいでどっと来るんですよ。ステージが押してたとか、色んな理由で。
その修羅場を手分けして素早く仕事をするのは大変でした。15分で仕上げたりね。
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峰村
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舞台裏ならではの臨機応変さも必要ですよね。そういう経験って帰国されてご自分のサロンでも活きたんじゃないですか?
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中山様
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仕上がりから逆算する時間の感覚が身に付きましたね。
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峰村
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中山さんのサロンであるBloomingの名前の由来を教えてください。
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中山様
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これから花が咲いていくイメージ。
1人1人が美しい花を持っているので、それを咲かせていきたいという想いで付けました。
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峰村
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これだけ長くお店を続けていくには、支えてくれるお客様がいるということなんですが、どうしてお客様はこのお店や中山さんを選んでいるのでしょうか。
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中山様
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きっと僕がバカだからなんだと思います(笑)前の事ってあまり覚えてないんですよ。常に新しいことばかり考えているので、そういうところなのかな。今日の気分はどうですか?と質問してデザインを決めていったりね。
これだけ長くやっていると、昔七五三で髪を切った子がお母さんになり、そのお子さんが七五三で髪を切りに来るとか。3世代で通っていただいているご家族もいらっしゃいます。まさにライフというか、ビューティーライフに携われるっていうのは有り難い限りです。
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峰村
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素晴らしいですね。美容師さんって、どのサービス業よりもお客様との距離が近い職業じゃないかと感じています。物理的な距離もそうですが、色んな話をしたり、まさにお客様の人生の一部になっている。
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中山様
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そうですね。お客様と関わる時間も長いですしね
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峰村
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その時間の中で信頼関係が構築されていくんでしょうか。
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中山様
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でも「危ない」って言いますよ、僕は。
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峰村
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何がですか?(笑)
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中山様
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任せるのは危ないって言います。お任せするって言われたら坊主にしますから僕は(笑)
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峰村
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(笑)お任せと言われるのは好きじゃない?
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中山様
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好きじゃないですね。全責任持てないですから(笑)今の気分がどうか、とかニュアンスが大事です。
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峰村
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今の気分からデザインするのって難しくないですか?
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中山様
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それでずっとやってきたので難しくはないですね。
髪のデザインだけではなく、シャンプーをする時から気分やニュアンスを重視しています。今日はリラックスしたいという気分ならリラックスできるような洗い方にします。これは作業ではないので。
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峰村
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シャンプーは流れ作業的なサロンも沢山ありそうですが。
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中山様
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そのサービスに対してチップをいただけます。
いかにお客様に寄り添うか、サービスに対する対価をいただけるか、そういう勉強にもなります。
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峰村
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日本ではチップの習慣はあまりありませんが、海外ではお客様に寄り添う、という意識が高いのでしょうか。
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中山様
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高いと思いますよ。
いいサービスを受けたらそれに対するちょっとした心付けは必要だと思いますね。どんな時でも。
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峰村
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日本だと旅館に宿泊した時に仲居さんに心付けを渡すくらいですかね。
昔の美容業界ではチップは普通だったんですか?
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中山様
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ありました。40年くらい前までは普通でしたね。
今でもありがたいことにお客様から差し入れをいただいたくということはあります。
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峰村
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中山さんのお話を聞いていてふと思ったんですが、今って個人商店みたいなものがどんどんなくなって大手に吸収されてますよね。秋葉原を例にすると、私の子供の頃の風景と明らかに変わっている。
同じチェーンのお店が並んでいて、選択肢が減ってるんです。昔は個人商店みたいなお店がもっと沢山あって、どこのチェーン店だか分からないお店があったりして、そこがまた面白いところでもあった。
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中山様
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あそこの店ではこんだけサービスしてくれたとかね(笑)
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峰村
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大きなものが小さなものを吸収してさらに大きくなっていく弊害というのかな、そんなものを感じます。
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中山様
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僕が懸念するのは、昔はお客様商売が7割くらいあった。今は7割以上がサラリーマンの時代。
人間関係が希薄になり、モラルが低下している気がします。相手を思いやる気持ちが薄いというのかな。昔は親だけじゃなく、見知らぬ人から怒られたりした。学校の先生にも本気で怒られたしね。
今の人って逆境に打たれ弱いイメージがあります。先ほどの話に出た離職にも繋がっているように思います。理不尽な事って世の中に沢山あるけど、それをどうやって回避するのか、あるいは飲み込んだりするのかっていう術を身に付けなければいけないんだけどね。
峰村
パリコレクションやミラノコレクションのスタイリストを担当された経緯を教えてください。